なりたい、けどなりたくない

 はじめまして。ごはん と申します。私は、現在とある大学の教育学部に通う1回生です。

 

 わたしは小学生の時、尊敬する先生にあこがれて教員を志しました。それ以来、教員になるには、どこの大学ではどんな研究をしているのか、自治体ごとの教育に関する取り組み、どんな先生になりたいのか、どんな児童生徒を育てたいのか・・・様々なことを考え必死に努力して今春、第一志望大学の教育学部へ入学しました。長年の夢へつながる道の入り口にようやく立てたような気がしました。

 

 しかし現在、わたしは教員への道をあきらめようかと考えています。理由は教員の劣悪な勤務体制。「そんなに前から教員を目指していたのならそのくらい知っているのでないか」。ごもっともです。何の言い訳の余地もございません。ただ私が無知なだけでした。

 たしかに教員の勤務体制がザルどころかワクであったり激務であったことは知っていました。長い間議論されていたことも知っています。しかしここ1年でそれが大きく話題になり、私が今まで調べてもなかなか出てこなかったような実態が日の元にさらされています。

 ここ1年ではなくもっと長い間「今と同じくらい」議題になっている事柄であり、私が教育学部に入って周囲から入る情報(主にTwitterでは同学部の方と多く繋がっているため、RTなどで情報がまわってくるもの)が増えただけかもしれません。それでも、私にはここ最近もっと話題になっているように感じるのです。

 塾や習い事からの帰り道、21時や22時過ぎでも学校の職員室に電気がついていたり、中学時代にはテスト期間が近づくたび部活の顧問の目の下にある隈が濃くなっていったり・・・そのようなことが次々に思い起こされ、私はこのまま教員を目指すための勉強を続けても大丈夫かと思うようになりました。

 大学では現役の先生方がいらっしゃって講義をされる授業もありました。一人の学生が「教職は激務であり、月の残業時間も過労死ラインを超える先生が多くいらっしゃると聞きました。それについてどう思われますか?」と質問したとき、その時に講義にいらした先生は「たしかに大変ですが、その分やりがいのある仕事です」とおっしゃいました。

  たしかにやりがいのある仕事だとは思います。「児童生徒の成長が何よりの喜びだ」そうおっしゃるのもわかります。私が教職を目指す理由の一つでもあるのですから。しかし、その時は学生の質問に対しお茶を濁すようにしてお答えになられたように感じたのです。

 

 わたしは、教員になりたい。その思いは変わっていません。やりがいがあるのも知っています。

 しかし、現在の勤務体制の中自分を犠牲にしてまで教職に就くことができるほど、私はできた人なのだろうか。そう考えると、足踏みしてしまいそうになります。夜は心の余裕を持ちたいし、翌日のパフォーマンスが悪くなってしまうので睡眠をしっかりとりたい。休日は仕事をせず家事をしたり買い物をしたり気分転換をしたい。非常勤講師になればいいのかもしれませんが、しかし安定したお給金もほしいのです。

 「そんなことを言ってしまえばきりがない、ただの甘えだ、そんなおいしい仕事なんてあるわけない。」そうかもしれません。ただ世間知らずの未熟者が生意気を言っているだけなのかもしれません。ごめんなさい。でも、教職は聖職だという考えはもう通用しないと思うのです。

 勤務体制を理由に教職をあきらめる学生も少なからずいらっしゃいます。その中に、教員になればとてもいい先生になったであろう方々がたくさんいらっしゃるはずです。勤務体制により、教育の現場は自分の首をかなり絞めていると感じています。早急に勤務体制と労働内容を見つめなおし反映させるべきではないでしょうか。

 

 教育学部へ入学したばかりの1回生の甘い甘い考えですが、私の考えていることは間違っているのでしょうか?わたしが自分に甘く社会をなめすぎているだけなのでしょうか?「なりたいけどなりたくない」そんな思いは私の無知と甘い考えによる成れの果てなのでしょうか?